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鈴木マサホ


鴨沂高校時代は、山岳部。自治会活動など。一浪した後、1968年同志社大学文学部に入学。時代は学生運動の真只中、全共闘世代。山岳部に入ったが、すぐに退部してベトナム反戦運動、ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)に参加。デモの日々。また反戦脱走米兵援助に携わり、京都弁のカタコト英語を今も喋る。69年には復帰前のオキナワを旅して、「20才・夏・沖縄紀行」を「思想の科学」に寄稿。ルポライターになるのが夢だった。1970年には、休学をして革命家のチェ・ゲバラに憧れてキューバにサトウキビ刈りに。帰国後、岩国の「反戦喫茶ほびっと」の設立や運営に関わり、そこで出会った今のカミさんと24才で結婚。
74年から、「駱駝は眠っている」(砂岸あろ著かもがわ出版)の舞台でぼくも登場している烏丸今出川の喫茶店「駱駝館」のマスターをしながら、1977年、同志社大学文学部文化学科文化史西洋史専攻を9年目にしてやっと卒業。卒業論文は「プエルトリコ史概論」。卒論を書き終え長男が誕生。その後、京都イングリッシュセンターで留学生問題の調査のスタッフ。

1979年、30歳の時に髭を伸ばしたまま、京都市会議員選挙に初挑戦(革新無所属)。選挙ドキュメントとして「猫もネズミも怒ってる」を発行。

その後「月刊地域闘争」(現在の「月刊むすぶ」)編集者として各地の住民運動、市民運動と交流。

83年に2度目の挑戦。落選。その選挙のときのドキュメントは「アサヒグラフ」に掲載され、後に「地方政治家」(長沼石根著 晩聲社刊)の中の一章として掲載される。その後、京都市中央市場塩干部の中卸会社「山本水産」に勤務、また百貨店の配達もして朝から晩まで労働の日々。

1981年から毎月1回の「核と戦争はごめんだ!市民定例デモ」を開始、

様々な市民運動に関わる。定例デモは、96年まで15年間、180回続ける。

1987年(昭和62年)38歳の時、太田光子市会議員の後継者として社会党の推薦を得て、3度目の挑戦で京都市会議員に初当選。清水達也府会議員とアベック当選。市民派議員としてデビュー。


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